大好きな本を読み返す

(メルマガ「あなたらしい花を咲かせよう」より転記)

3連休の中日、あなたはどんな予定を立てられていますか。

わたしは昨日はほぼ1日中自宅で片付け物をしていたのですが、片付け物をしている時、書類や本にいちいち手を止めて読みそうになりませんか?

昨日も誘惑に駆られつつも、読み込んでいては終わらないので、極力中身は見ないようにしていましたが、1冊だけ、短い本を読みました。

 
「ふつうのくま」(佐野洋子・講談社)

「100万回生きたねこ」の作者の佐野さんが1994年に出された本で、確か出版から間もない頃に購入しました。

大人向きの絵本ともいうべき本で、見開き全てに佐野さんの挿絵が掲載されているのも大きな魅力です。

最初に読んだ時、わたしはあまりよく意味がわかりませんでした。

その時は「ファンタジーだとしても、あまりにもぼんやりとしたもの」しか伝わってこなくて、当時雑誌などの書評で好評にだったのも不思議にすら感じました。

その後、わたしは渡英してボランティア活動をし、英語を学ぶという一つの夢を叶えました。

帰国してからこの本を読み直した時に、初めて「ああ、そうか」と腑に落ちたのです。

「ふつうのくま」は夢をかなえようとして悩んで、躊躇して、そしてある日夢をかなえて日常に戻ってきた人の話だったんだ、と。

(作者の佐野洋子さんがどのように意図されていたかどうかわかりませんが、わたしにとってはそうでした)

空を飛びたくて、でも日常の幸せで紛らわそうとするくま。

気持ちの良い春風に吹かれながら、はちみつをなめても、ドーナツを6つ食べても、大好きな友達と一緒にいても、それでもくまは寂しいのです。

それは、「空を飛ぶ」という夢を叶えていないから。

本当は自分のしたいことがわかっているのに、怖くて、なかなか決心がつかないのです。

毎日毎日部屋の中でぐるぐる歩き回るのが日課になるくらいに迷っているのに、勇気が持てないのです。

でもある日、「きょうが、そのひ」と決心して、親友のねずみが止めるのも振り切って、いよいよ先祖から伝わる赤いきれに乗って空を飛びに行くのです。

ねずみは、現状の幸せに満足して大きな変化を望みません。

くまのことが大好きだからこそ、彼の挑戦を止めようとする、典型的な「善良なドリームキラー」です。

くまは、空を飛ぶ直前まで躊躇しますが、ふと「実際に自分が飛んだらどうなるか」を考えます。

無意識に夢を叶えた後のヴィジョンを作っているのです。

そうしてそのヴィジョンにわくわくしてきたくまは、もうさっきのように恐怖で体がぐにゃぐにゃしていたくまとは違います。

「くまは、ものすごいかおをしていました。

まるで、くまみたい!」

さすがに佐野さんは絵本作家なので、くまの変化も挿絵にも如実に表現されていて、そこからも文書の味わいが深まります。

この時のくま、本当にぐにゃぐにゃしていた時とは別人(別くま?)のように勇ましいのです。

くまを見送ったねずみは、毎日自分の家の上で悩むくまがぐるぐる歩き回っていたことを思い出します。

彼は変化を望まないので、これまでのように自分の頭上で歩き回るくまに、そこにそのままでいて欲しかったと思うのです。

でも、身も蓋もない言い方をすると、それはねずみ自身がここち良い現状を維持したいという「ねずみの課題」でしかないのです。

くまから見ると、「他者の課題」なんですよね。

寂しさに耐えかねて表に出たねずみが目にしたのは、空を飛んでいくくまの姿でした。

「くまは、とんだんだ。とうとうとんだんだ。すごいなあ、くまは、とんだんだ。」

だらだらとなみだを流しながらつぶやいた、というねずみの素直な感動が、わたしはとても好きです。

もう帰ってこないかもしれない友達。

でも、彼が夢を叶えて空を飛んでいく姿に感動して泣くねずみは、もうドリームキラーではなく、ただ友達が夢を叶えたことをよろこび、祝福しているのです。

その時、「自分の寂しさ」という課題は、彼の中から消えているのです。

善意のドリームキラーはもともとが善意の存在で、相手のことを大切に思っているので、自分が反対していたことであっても、相手がやり遂げたり、それでしあわせになっていることを目の当たりにすると、今度は心から喜んでくれ、サポーターになってくれるものですよね。

そしてくまが帰ってきた時、「まっくろなくま」だった彼は「まっしろなくま」になっていたのでした。

当人にとっては自分がくろくてもしろくてもどっちでもよく、鏡でも見ない限り意識もしないようなことなのですが、ねずみが

「ゆうきあるくまだってしょうこ」だというように、周囲からは夢を叶えた人の変化は外見から見てもはっきりわかるんですよね。

実際には全身がまっくろからまっしろに見えるような具体的な変化ではなくても、夢をかなえたこと・経験したことによる自信もあるでしょうし、醸し出す雰囲気や発する言葉も変わるはず。

それは別人にさえ見えるかもしれない大きな変化なんですよね。

ねずみに「そらをとぶって、どんなきもち?」ときかれたくまは、一度は言いたくないというものの、正直に答えます。

「そらとぶって、なにがなんだかわからなかったよ。

ただ、こわかっただけなんだ。

なにもみえなかったよ。

ぼく めをつぶったまんまだったからね。

ぼく ほんとうは ゆうきなんかなかったのかもしれない。」

そんな風に答えるのが格好が悪い、と思ってくまは答えるのを躊躇したのかもしれません。

でも、「それでいいじゃないか」とわたしは思います。

それは、最初の挑戦でパーフェクトにうまくいくことなんて、めったにないんです。

でも、その最初の怖さに打ち勝って、一歩足を踏み出した。

全てを見ることはできなかったかもしれないけど、体感した。

最初の挑戦なんて、無我夢中です。

正直言って、冷静に目を全開して細部まで目線を配るようなことができる人は少数派だと思います。

逆に、それだけ「本当はもっとできることがあった」と気がつけるのも、実際に挑戦したからなんですよね。

だからこそ、くまの言葉を聞いたねずみが

「ほんとうのゆうきって、そうなんだね。」

というのでしょうね。

「いまのいまが しあわせだね」

最後にねずみはそう言います。

実は冒頭の場面でも、ねずみは変わりない穏やかな日常のしあわせを味わいながら

「いきててよかったって、いまのいまのことさ」

といい、

「しあわせは いまのいまにしかないから、あすも、いまのいまになるからね。」

といまの日常のしあわせが続くことこそがしあわせだと思っていました。

でも、最後の

「いまのいまが しあわせだね」

は、挑戦したくまの変化を認めて、共に喜ぶ、くまへの祝福の思いのこもった言葉だと思うのです。

80ページ弱の本ですが、とても味わい深く、何度も読み返している大好きな本です。

もし連休中に何か本を・・・と思っておられたら、ぜひ手に取ってみてくださいね。

この後も、素敵なお時間をお過ごしくださいね。

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